「忘れないよ」と、家族だった猫につぶやく

先代猫のゆきちゃんが死んだ日、わたしは病欠にして1日学校を休んだ。

とても、授業ができる状態ではなかった。
そして、その後何ヶ月間も泣き続けた。自分の家で鼻をかみながら、ずっとおいおいと泣く日々が続いた。Twitterにはわたしのその当時のかなり取り乱した姿がTwilogとして残っているが、実際の生活では家族のほかに誰にも打ち明けなかった。
口にしたが最後、涙が止まらなくなるのがわかっていたからだ。

だから、学校で周りのひとたちが初めてわたしが最愛の猫をなくしたのを知ったのは、あいちゃんをもらったよ、と打ち明けたときだった。

「あら、白い猫はどうしたの?」

その言葉を聞いたとたん、また涙がじわとふくれあがるのを感じた。もうすでに9ヶ月以上経っていたが、胸の傷がまた開いてぎゅうと締めつけられるような痛みが戻ってきた。

それ以来、誰も一言もゆきちゃんについては触れない。
そして、わたしも自分からはまだ話そうという気になれない。

ゆきちゃん

たかが猫じゃないか、というひとたちがいることも知っている。ご家族をなくしたひとが、自分のペットをなくしたことを話した友人に「ペットと人間を一緒にするなんて」と怒りとともに言うのを見たこともある。

それでも、ゆきちゃんはわたしにとって家族だった。猫だろうがなんだろうが、家族だった。

あいちゃんをもらうことになったのも、ひょんなことからネットでラグドールという猫を見たからだし、すーちゃんはそれこそ偶然の重なりの結果、わたしの家に来た。今や、あいちゃんががびんちの子になってからすでに4ヶ月以上、そしてすーちゃんもほとんど1ヶ月半だ。

新しく家族となったこの2匹を、わたしはゆきちゃんの代わりとは全く思っていない。

ゆきちゃんは今でもわたしの庭に眠っているし、その上に植えた夾竹桃はほんの少し大きくなって花をつけ始めた。その周りをあいちゃんとすーちゃんがハーネスをつけて、ゆるゆると散歩する。

それを見ながら、ゆきちゃんを思い出す。
ゆきちゃんは、ハーネスをつけなくてもゆっくりと裏庭だけを回った。そして戻ってきて、庭のテーブルの上にひょいと身軽にジャンプする。「喉んとこ、ゆっくりナデナデして」とワイングラスを持つわたしの手を軽くつっつく。「爪切ってもいいよ」とお腹を見せる。「ねえ、ナニしてるの?」とコンピューターにアゴを載せる。
ゆきちゃんを優しく撫でながら見た小さな裏庭は、そのころとちっとも変わっていない。

でもよく見ると、ほんの少しの変化に気づいてしまう。
梅の木は屋根を軽く1メートルは越えている。アイリッシュストロベリーは今年から赤い実を沢山つけるようになった。ゆきちゃんがいなくなってから植えたオリーブの木は、すでに隣家の窓からの目隠しになっている。

そして、わたしは白髪を何本か増やし、目尻のシミが数えられるようになり、肩まであった髪が短くなった。
月日はどんどんと流れ、やがてゆきちゃんはその痕跡を残さずに土の中に消えるだろう。あいちゃんもすーちゃんも仔猫から成猫になり、やがて1日のほとんどを寝て過ごすようになるだろう。

時は流れていくけれど、わたしはそれでもそれに逆らっていつもそっとつぶやく。

忘れないよ。

絶対、忘れないよ。



引き出しの整理をしていたら、ゆきちゃんの写真が何枚も出て来ました。床にぺたりと座って、ずっとずっと思い出を反芻していた土曜日の午後です。
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