あいちゃんに癒されていることに気づく

これで、4度目の正直だ。
さっきから同じブログエントリーを4度も思い出しながら書いている。あいちゃんがキーボードを歩いて、さっさと消してくれるからだ。4度というのは記録的だが、それもこれもわたしがダイニングテーブルの上で仕事をしているのだから、仕方がない。

あの大災害から1週間がたった。

母はいまだに余震におびえ、風呂にもゆっくり入れないし、あまりよく眠れない。妹はびくびくしながらバスで長い時間をかけて通勤している。

オーストラリアでは、テレビをつけても、新聞を開いても、車のラジオでも、災害後の死者数の増加と原発問題ばかりが目につく。学校に行けば、必ず最低でもひとりは「お母さん、大丈夫?」と優しい憐れみの目をわたしに向ける。
家に帰ってネットに入れば、また地震と原発だ。それを見るたびに、焦り、苛立つ。何かしたいが何もできない焦燥感と、母の側にいることもできない罪悪感。朝晩母にスカイプから電話をし、帰宅すればあいちゃんを抱きしめる以外に、興味をひくものは何ひとつなかった。

わたしのように海外に住む日本人は、多かれ少なかれ、そうした感情に襲われて沈み込んだ経験がこの1週間に何度もあったことだろう。
それでも、情報に接しないわけにはいかない。わたしは、一種の「災害ジャンキー」になっていたのかもしれない。

ダイニングテーブルでコンピューターに向かうことが多くなったため、あいちゃんも毎日その上で過ごす。行儀が悪いと思いながらも、独り暮らしでやりたいことをして何が悪い、と開き直っている。

先代猫と違い、あいちゃんはどちらかというと、わたしの見える場所にいないと落ち着かない。ダイニングテーブルにいるときには、ほとんどコンピューターに触るほど近くで寝る。

後ろから顔が見えなくても足だけは前に出していたり、
あいちゃんとコンピューター2

乗り出してコンピューター上に頭を乗せることもある。
あいちゃんとコンピューター1

話しかけると、ゴロゴロと大きな音で喉を鳴らす。その顔を見ながら、ゆっくりとすべすべのお腹を撫でていると段々と心の波風が静まってくる。

直接地震の被害に遭わなかったからといって、そのことに罪悪感をおぼえ、24時間そのことばかり考えている必要はない。もうすこし笑おう。そして、ニュースから離れよう。

今晩、また震度3の地震のあと、母から電話があった。「怖かったのよ、怖かったのよ」半分泣き声だ。スカイプからかけ直し、しばらく話していたら落ち着いてきた。あいちゃんはコンピューターの脇でいつものようにヘソ天だ。それを見て母と話しているうち、おもしろいことにわたしも落ち着いてきた。

「ここ数日は、おもしろいバラエティー番組もまた少しはじまったよ」と母は言う。「嬉しくってね。また笑えるから、さ。」
よかったね、おかあさん。



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